長崎街道を歩く
長崎街道を歩く





    2018年(平成30年)10月8日より、長崎街道を歩く旅をスタートした。
    その日の午前中に旧山陽道を終え、その終点の下関の対岸の大里からプレスタートする。
    長崎街道の正式な起点は7キロ先の小倉の常盤橋であるが、大里宿においては長崎街道の道標があるから、そこが 九州の最初の起点であることは確かである。終点は所説あるが長崎市の新大工商店街の端にある桜馬場入口 (シーボルト通り)として、距離にして223キロ、小倉と長崎をできるだけ最短距離で結ぶため直線状に整備された。 宿場の数は、大里を含めると26宿ある。1日30キロとして7日半、25キロで9日はかかることになる。 できれば、途中、古代山陽道の終着点の大宰府にも寄りたいし、吉野ケ里遺跡や武雄・嬉野温泉などにも寄ってみたいと 考えると、10日間はかかりそうである。
    江戸時代は鎖国のため長崎出島が唯一の外国との窓口であったため、オランダや明や清から 輸入する物産がこの長崎街道を経由して大坂、京、江戸ともたらされたわけである。物資の中には吉宗の時代にベトナム からは象がもたらされ、江戸まで歩かされた上、飼育法もわからず、衰弱死したという。→参考
    九州大名が参勤交代のために通ったのはもちろんのこと、ドイツ人のケンペル(1690年(元禄3年)、オランダ商館付の医師として、
約2年間出島に滞在した。また2回、江戸参府を経験し将軍・徳川綱吉にも謁見)やシーボルト(1823年、出島のオランダ商館医となり、
その後に塾を開いて、日本人に医学を教えながら、日本の植物を研究、楠本滝という女性との間に子供あり、1828年の帰国時に船が難破し、
その荷物の中に伊能忠敬の地図があったことから、国外追放となる。)なども歩いた。
    また街道沿いにはポルトガル人が教えた長崎カステラ、佐賀の丸ぼうろなどの砂糖菓子が名物処が多く、 甘党には楽しみもある街道である。







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