2 守口から京阪・牧野駅まで
2 守口から京阪・牧野駅まで





午後からは退屈な淀川河川敷を歩く。前方に雨雲があるのが気になるが。おそらく外国製の草刈り機、軽快に走らせていた。






フリスビーを使ったニュースポーツ「アルティメット」、フリスビーを持った人はランをすると反則、パスのみで
相手側のエンドゾーンでキャッチすると得点となる。右は淀川の水利の許可権者である近畿地方整備局が寝屋川市に
水利権を許可した標識。どうやら守口市から寝屋川市に入ったようである。






1時間半ほど歩いてようやく淀川河川敷を降りる。枚方市に入っていた。







蓮如上人・親鸞聖人御田地とはお上から預かった田畑のことだが、ここでは、説教の場所のことをいう。蓮如上人の
腰掛石があった。出口御坊・光善寺など、ここ枚方市出口は古い街並みや仏閣(浄土真宗)が残っている。



ひらかたパークの観覧車か!、阪神パーク、宝塚ファミリーランド、奈良ドリームランドなどの昭和の遊園地がとっく
の昔に閉園しているが、ひらパーはほんまに頑張っとるなぁ。営業中のものでは日本でもっとも古い遊園地だそう。



これ、私が2014年に一人で歩いたときに撮影したもの。



右が枚方宿の西見附です。ケンペル、シーボルト、アーネストサトウなどの外国人もここで食事・休憩をしている。



江戸時代は船宿であった鍵屋資料館。今日は関西文化の日で入場無料であった。



鍵屋は江戸時代、大坂と伏見を結ぶ三十石船に乗降する人のための船宿として賑わい、淀川三十石船歌に「鍵屋浦には
碇が要らぬ三味や太鼓で船止める」と歌われてた。表玄関は京街道に、裏口は淀川に面しており、船への乗降に最適な
構造になっていた。大正・昭和期には料理旅館として名を馳せたのであった。



川岸で鯛をさばいている所も描かれているのがおもしろい。
枚方のくらわんか船は十返舎一九の『東海道中膝栗毛』にも登場する。「めしくらはんかい。酒のまんかい。さあさあ、
みな、起きくされ。よふ、ふさる(寝る)やつらじゃな。・・・」注釈:枚方の商人船は言葉遣いが乱暴なのを名物とした。



大名行列のジオラマもあった。



長崎から江戸に運ばれる途中、ここ枚方宿にも宿泊したそうである。江戸まで70日もかかったそうである。



左は2階の座敷からの風景である。目の前が淀川。昔と違うところはスーパー堤防があって直接、川に面していない。



右が枚方本陣跡、早まって撮ってしまった。説明書きには「紀州藩の大名行列は有名で、近郷近在から見物に来る人も
多かった。8代将軍吉宗も紀州藩主のときは枚方宿を通ったそうです。慶応4年(1868年)1月、鳥羽伏見の戦いで
幕府の影響力は衰え、すかさず3月に明治新政府は天皇親政をアピールするため、明治天皇の大坂行幸を企画し、
ここ枚方本陣は休憩処となった。明治3年(1870年)に本陣は廃止された。



左の氷屋はかき氷で枚方では有名で、5月から10月までやっていると言ってた。右のみそ屋は明治16年創業の老舗。



枚方市駅まで来た。枚方宿は旅籠が69軒もあった。この守口〜伏見宿の中では断トツに多い。







枚方宿の東見附はこの天野川のところでした。この川には当時長さ17間、幅3間1尺の板橋が架かっていた。
紀伊徳川藩はこの川を渡るとき、専用の仮橋を架けさせたとのことです。



牧野駅に向かう途中、本当は京阪線の東側に行くべきところを真っすぐに行ってしまう。



17時50分、牧野駅で日没終了。




京橋駅で下車し、「ぎょうざの満州」へ。「3割うまい!!」のキャッチコピーで埼玉県、東京都、群馬県に展開している。
3割の意味については、現在は「うまい・安い・元気」の3つで3割とされているが、元は「他店より美味さ3割増し」の意味
で付けられたものとのこと。個人的には王将の方がいいかな。でもとにかく安くて一人1500円で済んだのはありがたかった。



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