7 肥前山口駅から嬉野宿まで
7 肥前山口駅から嬉野宿まで





2019年6月9日(日)、4時50分起床、昨夜、コンビニで買っていたサンドイッチを部屋で食べて5時31分の
始発電車に乗る。長崎行きになっていた。このまま乗れば、苦労もせずに居眠りして起きたら長崎なんだが。



肥前山口駅がJR最長片道切符(一筆書きの乗車)のゴール地点だとか。稚内から肥前山口までの12,000kmを
42日間で列島縦断したというテレビの番組が平成16年のNHKBSであったという。
最長片道切符とは北海道から九州まで経路が途中で重複しない発駅から着駅までの距離が最も長い経路を持つ片道乗車券
で、四国を除いて運賃はその当時90,820円だったという。





小田宿は上記の地図のいわゆる三角形の角にあたる。小田宿は長崎街道が開通したことによって宿場町となった。



ちょうど三角形の角のところ。



ここらへんは旅籠(茶屋)が立ち並んでいた。右は大楠木。奈良時代、行基がここの豪族の親と娘の情愛や孝行話に
感動して、楠木に馬頭観音像を彫って、人馬の安全と健康を祈願したという。



今日は昨日通った佐嘉川の河川敷でバルーンフェスが行われていて、山の上に気球が見えた。



まだ6時45分だけど、トライアルというホームセンターは開店していた。花暦=あじさい。



右は土井家住宅。1800年代前半に建てられたという造り酒屋だったそうだ。



大町は間の宿だったのか、JRの駅もあるせいか商店街もあって生活感が感じられる。大町ちゃんぽんが名物。



武雄市に入った。演歌歌手の島津悦子は名前の通り、鹿児島県出身で昔、バスガイドをやっていた。



昔、焼米宿と呼ばれた宿場町。船運で栄えたが上使屋(本陣)などはなく、旅籠や船宿があって酒屋、茶屋、味噌、
醤油などの日用雑貨店が十数軒あった庶民の宿場であった。また付近には赤坂炭鉱などもあって昭和初期までは
にぎわいがあったという。北方駅近くまで来た。



明治28年に開業した古い驛、北方駅という看板も手書きのようで味がある。





北方駅を出て、街道は2手に分かれる。まっすぐ行くのは武雄温泉を通るルート、あるいは南に折れて塩田へ向かう
方か、まさに分岐点は追分という。塩田宿の方が見所のある宿場であるので、左に曲がる。



六角川を跨ぐ橋を渡ると広大な農地が広がっていた。



トラクターの後ろをついて行く白鷺は滑稽でした。猫も久しぶりに街道に姿を現した。



長崎自動車道のガードをくぐり、成瀬宿方面へ。



実は長崎街道は肥前山口から南へ行く多良通りと、我らが行く塩田道と、そして武雄温泉を通って南下する彼杵通りの3つがある。



小田宿からは9.1キロの距離。次の塩田までは8.4キロ。



この宿には大名や上級役人の泊まる本陣が無かったので、西岸寺が代用された。
街道には郵便局が付き物だ。明治4年12月、九州で最初に長崎郵便役所と16の郵便取扱所が街道沿いに開設された。
その後、順次九州全域に郵便局ネットワークが広がっていった。



塩田道は車の往来もさほど多くなく、のどかで歩きやすい。



やはり6月上旬はもう暑い。本日2本目の水分補給。



郡境石があった(赤い枠箇所)杵島郡と藤津郡(塩田)。



志田焼というのがあるんですね。



高級磁器を生産する有田に対し、塩田町で焼かれる志田焼は大衆向けのものを大量生産する窯場として発展した。
天草陶石を原料にしているという。青い色彩柄のお皿が特徴である。



麦畑の刈り取りを行っていた。九州北部の佐賀平野は全国でも有数の小麦や大麦の産地だそうです。



塩田宿の入り口まで来た。



11時過ぎ、塩田宿入り口近くの「ひろせ屋」に入る。



上品そうなおばちゃん一人が切り盛りしているちゃんぽんや皿うどんが人気のお店、パリ・モンマルトルの
風景画(杉本好守画伯作)とかも飾っていた。



塩田宿すぐ横に塩田川が流れており、志田焼きの材料にもなる天草石が荷揚げされていた。



嬉野市塩田津伝統的建造物群保存地区、ここは古い町家が残る貴重な歴史遺産であるが、あまり観光客はいない。



きっさ楽家は素敵な古民家で、ここでも食事をすることができる。ここでも良かったなぁ。ただし1日1組の予約制。





真っすぐに行くと趣きのある洋風建築の塩田町消防団まで来てしまったので、少し戻って街道に合流する。



またも水分補給、この自販機は佐賀産の飲料ばかりであった。



猫、危機一髪。まぁ、車が接近しているのにのんびり歩いていたんだけどね。



塩田津は江戸時代より熊本県天草市天草町より陶石が荷揚げされ、水車により陶土に加工された。



橋を渡ると嬉野市嬉野町に入った。





ここで国道34号線(彼杵通り)に合流する。前方は建設中の長崎新幹線である。しかし佐賀県が反対している。
九州新幹線・長崎ルート(博多―長崎)のうち、佐賀県内を通る新鳥栖―武雄温泉間(51キロ)の整備方式が決まらない。
問題は、この「武雄温泉=新鳥栖」という佐賀県内の区間については、新幹線の幅の広い「標準軌」と在来線「狭軌」を
自在に乗り入れ可能な「フリーゲージトレイン」の開発を進めてきたが、技術的な問題(走行中に車軸や軸受けが摩耗する
致命的な欠陥)などから断念。特急から新幹線になると運賃が上がるばかりか、博多への所要時間も35分が20分になるだけ、
しかも地元負担が1000億円も、それに新幹線ができてしまうと、現在の在来線の今後もどうなるかわからない。
そんなわけで佐賀県の山口知事は現時点では「1000億円以上を負担するフル規格」には一切同意しないということである。



午後2時20分、嬉野宿の入り口にさしかかった。次につづく。



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